私がペーパーウェイトを手に入れるまで/59番目のマリアージュ(アルテイシア)

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男にモノのように扱われたい

もともと私は男尊女卑アレルギーで、男にちょっとでも偉そうにされると「金玉をもぎとって水洗便所に流してやろうか」と思うタイプ。

けれども独身時代、たまにメンタルが闇落ちすると、素性も知らない男とゆきずりのセックスをした。その瞬間は「どうでもいい男にモノのように扱われたい」と望んでいた。

 

そんな自傷行為のようなセックスを繰り返し、変な男にあたったら殺されるかもしれない。そのリスクはもちろんわかっていたけど、当時の私は「べつにいつ死んでもいいし」と思っていた。

 

村上龍の小説『ラブ&ポップ』に、援助交際をする女子校生に男がこんな言葉をかける場面がある。

「こんなことしちゃだめなんだよ、名前も知らないような男の前で裸になったりしちゃだめだ、それを知ったらすごくいやがる人がいるんだ、誰にだって、必ずいる」

 

これを読んだ時、村上龍はバカなの?と思った。いやいや、そういう人がいないからするんだよ。

 

AMの『VERY妻になりたかった母の死』という記事に書いたけれど、わが両親は毒親だったため、18歳の時に縁を切った。

その後、大学生の時に阪神大震災が起こり、私も神戸で被災して友人知人を亡くした。

地震の数日後、神戸の街でバッタリ父に出会うと「なんやお前、生きとったんか」と言われた。

 

震災前、性経験は1人だけだったけれど、その後の1年間で何十人もの男とセックスをした。

 

さっきの村上龍の言葉と同じぐらいバカバカしいと感じるのは、「命の大切さを教える授業」とやら。

自分が大切にされてきた実感がなければ、そんなものわかるはずがない。たかが1時間の授業で何を学ぶというのか。

 

ペーパーウェイトがない人々

8年ほど前、女性誌に『ペーパーウェイト』という短編小説を書いた。

ゆきずりのセックスを繰り返す女が、バーのカウンターで、紙の束の上に置かれたペーパーウェイトを見て「私にはこれがない」と考える話。

 

その小説を書いた数年後、オーストラリア人の男友達と話す機会があった。

彼は親に虐待されて施設で育ち、公的支援を受けて大学で心理学と福祉を学び、現在は子どものためのソーシャルワーカーとして働いている。

 

その彼とこんな会話をかわした。

友人「僕も昔は荒れていたから、専門的なカウンセリングを受けたよ。十代の頃は怒りを抑えられなくて、人を傷つけていたから」

アル「自分を大切に思えないと、他人も大切に思えないもんね」

友人「そう、僕にはペーパーウェイトがなかったから」

 

この発言に「おおっ!」と思った。そうか、この子も同じように感じていたのか。

 

ペーパーウェイト=重しがないと、風が吹くたびに、紙はパラパラと飛んでいってしまう。

 

私は夫という重しに出会って「いつ死んでもいい」から「そう簡単に死ぬわけにはいかんな」に変わった。

私が死ぬと、きっと夫は寂しいから。私のいないマンションのキッチンで、夫が猫にごはんをあげている姿を想像すると涙が出てくる。

 

敵が侵入してきても自衛できるよう、やっぱり誕生日に斧をプレゼントしてもらおうか。

育てるのが得意な夫 >>

 

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