股間より隠さねばならない「シルクハット」の秘密/山田ルイ53世(髭男爵)
風呂に入る時、一番最初に洗う場所。
人それぞれだが、僕は“股間”である。
股間である…じゃない。
女優やアイドルならいざ知らず、四十一歳になるおじさんの、
『体のどの部分から洗うかランキング』
など、誰一人興味がないのは百も承知。
第一位の発表で、止めておくので御容赦願いたい。
別に、デリケートゾーンにまつわる、ほろ苦い思い出があるわけではない。
ただの習慣、マナーである。
芸人を志し、上京してからの十年間、僕はずっと三畳一間の、風呂なしアパートに住んでいた。
長年に渡る銭湯通いのおかげで、僕は、入浴マナーには、人一倍うるさくなった。
股間は元より、体をすっかり清めてから湯に浸かることなど基本中の基本。
ましてや、今や娘と入浴する機会も多い。
子供と言うのは、免疫が弱いらしく、何の脈絡もなく熱を出す生き物である。
なるべく、雑菌の類には触れさせたくない。
出来ることなら、入れ歯の様に“カチッ”と取り外し、市販の洗浄液に一晩漬けておきたいくらいである。
とにかく、娘も入る風呂に、穢れたままの股間を浸けるのは気が引ける。
勿論、医療の知識もない僕の、素人考え、戯言に過ぎないが、水素水よりはいくらか娘の健康に役立つだろう。
その日も、僕は湯船の外で、股間をワシャワシャしていた。
妻と娘は、湯船に浸かり水遊びの真っ最中である。
「やめてー!ももちゃん!やめなさい!!」
妻の悲鳴に続いて、
「キャキャキャキャ!」
という娘の笑い声。
見れば、湯船の中で立ち上がった娘が、水鉄砲で妻の顔面を狙い撃ちにしている。
妻は、両手を前に付き出して攻撃を防ごうと試みているが、娘の方が一枚も二枚も上手。
器用に防御の隙間を掻い潜り、水鉄砲を命中させている。
もうすぐ五歳…子供の成長は、著しい。
「…大きくなったな―!」
目を細め、娘の顔を見た僕は、思わずギョッとした。
何故なら、娘も同じく目を細め、僕の方を見ていたからである。
いや、彼女の顔も体も依然として妻の方を向いている。
「ももちゃん!ホントに、ママ怒るよ!!」
妻の悲鳴が示す通り、水鉄砲での攻撃も続いている。
つまり、娘は、
「パパの方は向いてませんよー…」
と、妻と遊んでいるふりをしながら、“横目”でずっと僕を見ていたのである。
ホラ―映画さながらの状況に、風呂場にいるのに、鳥肌が立つ。
しかも、娘が横目で見ていたのは正確には僕ではなく、僕の股間であった。
どうやら、大っぴらに見てはいけないものだという認識はあるようだ。
ゆえの“横目”。
それがむしろ、葛藤の末の行動であることを際立たせ、余計に僕を戸惑わせる。
とにかく、凄まじいまでの“横目”。
それはもはや、“凝視”と言っていいレベルである。
限界まで目の端に寄せられた娘の黒目は、窓から身を乗り出す、好奇心旺盛な少年のよう。
もう少しで、黒目が目尻の手すりを乗り越えて、落下しそうである。
我が家は、女二に男一。
男の方が少数派、異物であり、興味津々になるのも致し方ない。
「自分とママにはなくて、パパに付いている“あれ”は一体何なのだろう!?」
不思議に思うのは、十分理解出来る。
しかし、以前なら、
「パパこれなにー?」
と無邪気に僕に訊いてきたはずである。
見ていないふりをしたりはしなかった。
つまり、“横目”は娘の成長の証と言えなくもない。
嬉しい反面、彼女の好奇心、観察眼のレベルが、また一つ上がったことに、少々怯えた。
それまでは、僕は娘の目をそれほど意識していなかった。
まだ小さな子供…何も分かるまいと、高を括っていたのである。
心のどこかで、マジックミラー越しに、僕が一方的に観察できる対象だと舐めていた節があったのだ。
しかし、それも終わり。
僕は、ある決心をする。
隠すのだ。
股間ではない…シルクハットである。