高齢者は敬老大喜利の被害者か?賢者にはなれなくても妻がいれば/山田ルイ53世

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年寄りのなかにもバカはいる

次々とやってくるタクシ―が順調に行列を飲み込み、あと少しで僕達の番である。
「間に合ったー!!!」
僕の台詞ではない。
どこから湧いて出たのか、新規の老婆が登場し、
「ごめんなさ―い!お手洗いが混んでてー!!」
と此方を一瞥もせず、当たり前のように老人達に合流した。

(いやいやいや……それはアカンやろ!!!!)
思いもよらぬ、五人目の登場に心の中でツッコむ。

四人まではオッケーだ。
タクシー一台で事足りる。
助手席に一、後ろに三だ。
「すいません!」
の一言も無く列に横入りしようが文句は無い。
目を瞑ろう。
しかし、五人はアウト。
一台には乗り切れず、彼らの順番でタクシー二台を消費してしまう。
「すいません、同じグループなんですけど……いいですか?」
と此方に向かって、神妙にお伺いを立ててくるならまだしも、そんな様子もない。
年長者を悪し様に言うのは気が引けるが、
(お前ら……その年になって、まだそんな感じか!?)
怒りではない。
むしろ絶望。
老人達のバカな振る舞いに呆れ果てる。

辛うじて罪の意識、気まずさはあるのだろう。
先程までのはしゃぎっぷりは鳴りを潜め、五人編成になった後は、明らかに口数も減った。

僕に完全に背中を向け、視線どころか、気配すら一切交えようとせぬ。
防御体制に入ったというわけだ。

結局、彼らは逃げ切りに成功。
二台に分かれて乗車し、古都の街並みに消えていった。
しかも、別々の方向へ。
「いや、目的地違うんかい!!」
今度は口に出した。
誰にも聞こえぬよう小さくだが。

常々思うのだが、年寄りのなかにもバカはいる。
当然と言えば当然である。
何百年も前。
戦国時代であれば、『敬老』なる言葉に相応しい、賢者と呼べる老人も少なくなかったろう。
何しろ、命を長らえること自体が、非常に困難。
そんな『人生五十年』な時代に、六十歳、七十歳、八十歳……村の長老と呼ばれるまで生き延び、歳を重ねた人間には、若者にはない知恵、生きる術が蓄積されている。
しかし、今では。
医学の進歩、食糧事情の改善……多くの人々が老人に“なれる”。
若い頃、
「コイツ、ダメなやつだなー!」
「お前、常識ないな!?」
と周囲に説教されていた人間がそのまま歳をとる。
世代ごとのバカ含有率が、昔に比べ上昇しているのは間違いない。
いやむしろ、人格者は死に、バカが煮詰まり、その割合は加速度的に増しているのかもしれぬ。
大体、自分に置き変えてみれば分かるというもの。
今の自分が、何十年か先、尊敬に値する知恵者、賢者に成り果せているだろうか。
否である。
全てのおばあちゃんの知恵袋がパンパンに詰まっているわけではないのだ。

そもそも、老人側にもプレッシャー、迷惑である。
敬老という錦の御旗でハードルは上がるばかり。
含蓄のある発言、味わい深い名言、人生の指針となる様な言葉を期待される局面は若者より格段に多い。
ある意味、“敬老大喜利”の被害者である。
お笑い芸人に対して、
「ねーねー、芸人でしょ?何か面白いこと言ってよー!!」
と絡むのと同じ。
ゾッとする。

先日。
娘のプールを見学に行った際。
お手洗いに行くと言う妻に、
「じゃあ、席取っとくよ」
と、僕は自分が座っている隣のスペースに、妻の荷物を置こうとした。
すると彼女は、
「今日は日曜で、沢山人来るからそれは駄目!!」
と僕を制止した。
妻より早くあの世に行けば、僕はバカにならずに人生を全う出来そうである。

Text/山田ルイ53世(髭男爵)

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