早期教育に懐疑的な親の財布すらゆるめる「知育玩具」購入の記録/山田ルイ53世
先日。
家族揃って、買い物に出掛けた。
娘が欲しがっていた、とある玩具を手に入れるためである。
妻曰く、よくお邪魔する幼稚園の友達宅にあった“それ”に、娘が大ハマりしたらしい。
以来僕は、
「ねー!“磁石のカチャカチャのブロック”欲しいー!」
と激しく強請(ねだ)られていた。
“それ”は通常のブロックと異なり、三角形や四角形のピースが、全て枠状になっている。
“辺”の部分に磁石が仕込まれており、簡単に立体を作ることが出来るという仕掛け。
購入後、僕も遊んでみたが……なかなか面白い。
まず、平面上にピースを並べて繋げ、“展開図”を作る。
続いて一ヵ所を摘み持ち上げると、“カチカチカチ!”……各所が次々と勝手に結合し、“家”や“ボール”に早変わり。
爽快感もあり、大人でも楽しい。
なんでも、『小学校の算数の授業の理解を深めるのに役立つ!』というのが売りだそうな。
俗に言う、“知育玩具”というやつである。
この“知育”なるワード、子育て中の親にとっては、“開けゴマ!”と同じ。
開くのは宝物を隠した洞窟の入り口ではなく、財布である。
“知育”を目の前にした途端、多くの親は思考停止に陥り、惜しみなく金を出す羽目になるのだ。
かくいう僕もしかり。
元々、娘には甘めの親だが、矢鱈とモノを買い与えるのは、彼女にとっても良くない……それ位の分別、自覚はある。
そもそも、“早期幼児教育”の類に熱心な人間ではない。
効果の程はさて置き、
「○歳までに△△をしないと、子供の脳が!」
などと、未来を人質に取った、脅迫めいた煽り文句に屈するのも気に食わない。
そういう傍若無人な輩達こそ、”早期“に教育し直すべきである。
そんな僕も、“知育玩具”なるワードには頗る弱い。
“知育”が頭に付くと、“玩具”という言葉が本来持つ、享楽的かつ退廃的な印象が薄まり、“真面目な玩具”というよくよく考えればおかしな概念が生まれる。
漂うのは、“オーガニックのお菓子”、“ノンアルコールビール”の面々と似たような無害な雰囲気。
『TMレボリュ―ションの楽曲をアコースティックバージョンで聴く』ような、骨抜き感は否めないが、とにかく響きが優しい。
一方“玩具”は、“早期教育”界隈の一味、“知育”に付き纏う、“親の自己顕示欲”が放つ禍々しさを消臭してくれる。
「楽しく遊んでいるうちに、勝手に頭が良くなる!」
という”全自動食器洗い機“顔負けの手軽な印象を醸し出すのも良い。
勿論、ただの錯覚だが、少なくとも子供の教育における親の心理的負担は軽減される。
正に、ウィンウィンの関係。
素晴らしい。