結婚指輪と婚約指輪を盗まれて1年が経った話/元鈴木さん
認められなかった子供時代
以前書いたように、私は親から力でねじ伏せられて育った。
そしてやることなすことを笑われたせいか、なぜ自分が生きているのか分からない子供だった。
きっと、自尊心というものを育てられなかったのだと思う。
子供だった私は、どんなに私が間違っていても私を肯定してほしいといつも願っていた。
そのためか、認めてほしいが故にわざと問題を起こしたりするような、他人を試す行動が多かった。
親にとっては非常に煩わしい子供だったと思うし、誰にとってもめんどくさい子供だっただろう。
そのせいかはわからないが、新しい学校ではクラスメイトから無視されるいじめにあっていた。
ある日、私は母にいじめられていることを告白した。
友達もいなかったため、頼れるのは親しかいなかった。
しかし、母はひとしきり話を聞くと、「でもあなたも悪かったよね」と言った。
本当は、私は母に「辛かったね、お母さんは味方だよ」と言って欲しかった。
無条件に愛されたいと願っていたが、それが叶わなかった。
絶望した私が「もう死にたい」と言ってカッターを出してきても「やってみろ、どうせできない」と手首にカッターを当てられた。
私はこの瞬間、親に愛して認めてほしいと思うことを諦めた。
私はあまり喋らなくなった。
自分以外の他人に期待することが無駄に思えたからだ。
私に味方はいないし、生きている限り結局1人なら、他人と話すことは無駄に思えた。
小学校4年生のその瞬間から、死ねなかった私の長い余生が始まった。
こうして、誰にも認められることがなかった私は、そのまま大人になった。
大人になった私は、他人と深い関係を築くことはほとんどなかった。
きちんと生きる気がなかったため、友達は特に必要ないと思っていた。
人間関係で言えば、18を過ぎてからの男関係はいつもあえて不幸になる選択をしていたと思う。
いつか男に刺されて死ぬか、シワシワになるまで生き永らえた時は上野公園あたりで寂しく死ぬのが私にはお似合いだと思っていたからだ。
ゴリラと付き合う24歳手前まで、私は海面に浮かぶビニール袋のように東京を当てもなく漂っていた。