「ごめん」と言えない関係に未来はない話/元鈴木さん

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ゴリラをお手本にして、謝れるようになった私

妻のひいき目を差し引いても、うちのゴリラは素直ないい子だ。

言い訳も、正当化もせずに謝れる彼は、非常に誠実に人と接していると思う。そのせいか周囲からよく可愛がられているようだ。

彼は私にぴったりなロールモデルだった。

私は彼を見習って、「でも」「私は悪くない!」とすぐに言いたくなる場面で我慢するところから始めた。

正当化したくなったら、自分が正当化しようとした点についての反省をした。

ムッとしても1日の終わりには謝るように心がけた。

 

最近も謝ったことがある。

お風呂に入ってる最中、ゴリラに製作が難航していたオリジナルのコルセットの進捗を聞かれ、冷たくしてしまったのだ。

こだわったために資材が集まらず、サンプル製作から難航していたので、本当はあまり話したくなかった。

彼は思いつく範囲で一生懸命アドバイスをくれたが、

私は「何も分からないのに的外れな口出しをしないで!」と冷たい返事をしてしまった。

ゴリラはしゅんとして風呂場を後にした。

 

悪いのは私だった。

ゴリラは単純に心配していただけだ。

それにコルセットの問題は、完全に彼の範疇外だと頭の片隅では分かっていた。

にも関わらず、私は細かいトラブルの話をしたのだ。

優しい彼が分からないことでも一生懸命アドバイスをしてくれると分かっていたのに。

私は誘導するように、仕事で直面している問題について語ったのである。

 

父親のように、他人をうまく責め立てることが骨の髄まで染みついていた。

 

その後、一足遅くベッドに入った私は

 

「サンプル製作、うまくいってなかったからあなたに当たってしまった。心配してくれたのに酷いこと言ってごめんね」

 

と彼に謝ることができた。

きっと数年前の自分ならうやむやにしたまま朝を迎えていただろう。

こんな風に謝れるようになったのは、まぎれもなくこの数年お手本を示してくれた彼のおかげだと思う。

ゴリラが辛抱強く、誠実に、私に接してくれていなかったら、私はきっと一生自分の意地悪さに気づけなかっただろう。

 

その夜ゴリラは「いいんだよ」と言って私を抱きしめてくれた。

 

いつも「はい論破」することを目的にしていてはいけない

自分の非を認めて謝ることは、相手を尊重する意味があると思っている。

 

別れる寸前の、険悪なカップルや夫婦の喧嘩を想像してほしい。

相手の言い分を否定し、自分の非を認めないということが、喧嘩の真の目的になっていることが多いだろう。

相手の意見がどんなに正しかろうと、相手自体を認めたくないと思っているから絶対に謝らないのだ。

そういう喧嘩を繰り返してしまったら、もう関係は長くない。

どうやっても相手を尊重できないからだ。

 

間違わないで生きるのが無理なら、私は間違えたら謝れる人間を目指しながら生きていこうと思う。

 

大切な人の存在を認めるために、自分の非をちゃんと認めるのだ。

 

Text/元鈴木さん

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